1623

イスタンブールに居を構えるアルメニア人の錬金術師、アベディスⅠ世は、合金処理法において独自の製法を発明し、その製法を生かすことにより透明感のある、そして力強い音を産み出すまさに芸術的シンバルの製作に成功。オスマン・トルコ皇帝に従う、その名も高いJanissary Banがジルジャン・シンバルを採用し、日常的な祈りから、宗教上の祝祭、皇室の結婚式、そしてオスマンの軍隊の召集にまで利用した。皇帝ムスタファはアヴェディスに対し、感謝の意を表し、彼にシンバル職人の称号として「ジルジャン」を授けた

1800年代

19世紀後期、作曲家ベルリオーズやワーグナーは自らの作品にシンバルを多用し始め、シンバルはジルジャンのみを使用するように要求した。



アベディスⅡ世/ケロップ・ジルジャン

1851

アベディスⅡ世は帆船を建造し、国際貿易見本市が行われたマルセイユ、ロンドンに出向きジルジャンを展示し、数々のメダルと推賞製品としての認証を得た。その14年後、後を継いだケロップ・ジルジャンが同様にヨーロッパ、アメリ力合衆国の見本市において数々の栄誉を受賞。

1909

ケロップの死後、アベディスⅡ世の2番目の息子アラム・ジルジャンはイスタンブールにおいてシンバルを作り続けることが困難と判断する。政変の最中、アラムは一時ブカレストに避難することを余儀なくされる。


アメリカでの初のジルジャン工場

1927

アラムは甥のアベディスⅢ世に手紙を書き、彼がファミリー・ビジネスを引き継ぐように要請する。アメリカでキャンディー工場を成功させていたアベディスだったが、2年後の1929年、アメリカはマサチューセッツ州クインシーに最初のジルジャン工場を設立する。ジャズの時代が始まろうとしていた。

 

 


チック・ウェッブとアベディス/ジョー・ジョーンズ

1930年代

アベディスはジーン・クルーパと終生の関係を育み、クルーパは当時出現していたドラム・セットにジルジャンを採用してサポートすることになる。この時期に「ペーパー・シン・クラッシュ」「ライド」「スプラッシュ」「ハイ・ハット」といったシンバルが誕生した。

 


アベディス、アーマンドとシェリー・マン/アーマンドとマックス・ローチ

1950年代

父アベディスの指導の下、アーマンドは「アーティスト・リレーションの父」として当時のトップ・ドラマー達(Gene Krupa, Buddy Rich, Max Roach, Shelly Manne, Elvin Jones and Tony Williams)との親交を深め、ドラマーと一緒になってニュー・サウンドの探究を押し進める。

 

 

1960年代

ルイ・ベルソンに鼓舞されつつ、ジルジャンは「ニュー・ビート・ハイ・ハット」を発表する。トップをより軽めのシンバルに、そしてボトムをより重めのシンバルにするこのマッチングは鮮明な「Chick」サウンドを強調することに成功。ニュー・ビートは瞬く間に全てのドラマーのスタンダード・ハイ・ハットとなる。


1964

ビートルズがエド・サリヴァン・ショーに出演し、ジルジャン・シンバルの需要が一挙に高まる。この年の終わりには90,000枚のバックオーダーを記録する。

 


Zildjian本社、ドラマー用ラウンジ

1973

ジルジャンはこの年マサチューセッツ州のノーウェルに、最先端のシンバル製作を追求するための新工場を開設、と同時にジルジャン創設350周年を祝うことになる。

 


アーマンド/アベディス

1977

アベディスはアーマンドを会社の社長に任命。2年後、アベディスが90歳で他界すると、アーマンドは会長に就き、シンバル製作に関するレベルをさらに押し上げるために、数百万ドルを投資して工場の近代化を図るとともに、広範囲にわたる取り組みに着手する。

 


アーマンドとエルヴィン・ジョーンズ

1981

ジャズドラマー、エルヴィン・ジョーンズとトニー・ウィリアムスの助言を得て、ジルジャンは手作りによるあの伝説的なKジルジャンの再生産に踏み切る。

 


第1回ジルジャン・デイ

1986

この年ジルジャンはK/Zコンビネイションのハイ・ハットを世に送りだす。あるシリーズのトップと、それとは異なるシリーズのボトムを組み合わせた最初のハイ・ハットである。アーマンドの息子、ラブ・ジルジャンがロス・アンジェルスにアーティストとの連絡事務所を開設、また「ジルジャン・デイ」という1日ドラム・クリニックをスタートさせる。以来、このクリニックは音楽業界ではスタンダードとなっている。

 


ドラムスティック生産工場

1988

ジルジャンはこの年、ヒッコリーの生産地であるアラバマ州に、完壁に統合されたドラムスティック生産工場を設立する。このジルジャンのドラムスティックはすぐにトップ・ドラマーの目にとまり、使われ始める。使用しているドラマーにはデニス・チェンバース(サンタナ)、ジョーイ・クレイマー(エアロスミス)、トラヴィス・バーカー(ブリンク182)らがいる。

 

1990

ブリリアントフィニッシュでサウンドクオリティ、ビジュアル共に優れたモデル、Aカスタムを開発。Aカスタム・セットはモダン・シンバルにおいて、その抜けの良いシャープなサウンド・クオリティの代名詞となっている。


クレイギー、デビーとアーマンド

1999

アーマンド・ジルジャンは長女クレイギーを会社のCEOに任命する。同社の歴史上、女性がこの地位についたのは初めてのことである。また、次女デビーは、人事担当副社長となる。

 

2002

皆から愛された会長アーマンド・ジルジャンが、12月26日アリゾナ州スコッツデイルの自宅で死去。享年81歳。Kコンスタンチノープルの開発が彼の最後のプロジェクトとなった。


スティーブ・ガット

2003

ジルジャンは380周年を祝い、2回目の「American Drummers Achievement Awards」を、スタジオ・ミュージシャンの雄、スティーヴ・ガットに贈る。ジルジャン・サウンド・ラボは最初のチタンコーティング・シンバルを世に送りだす。

 


神保彰

2006-2007

神保彰プロデュースKカスタムハイブリッドシリーズをリリース。2006年フランクフルトミュージックメッセにてベストシンバルに選ばれ、MIPAアワードを受ける。同時に、新配合比率のアロイを採用したZHTシリーズも発表。2007年には待望のアーマンドシリーズも復活を遂げる。

 


ジンジャー・ベイカー

2008

ロンドンで行われた385周年記念式典で、Zildjianはジンジャー・ベイカー(クリーム)にZildjianドラマーズ・アチーブメント・アワード(功労賞)を贈った。1998年にスタートしたこの表彰は世界で最も影響力のあるドラマーに敬意を表した賞で、今までにルイ・ベルソン、ロイ・ヘインズ、エルビン・ジョーンズ、マックス・ローチ、スティーヴ・ガッド等に贈られている。

 


クレイギー・ジルジャンとヴィク・ファース

2010

パワーを求めるロックドラマーに向けて誕生したZシリーズが、2代目Zカスタム(1993年)を経て3rdジェネレーション、“Z3”として生まれ変わる。この年の12月、ジルジャンは世界一のドラムスティックメーカーVic Firthとの合併を発表した。

 

2011

インテリジェントパーカッションの新ブランド、Gen16を立ち上げ、AEシンバル(アコースティック・エレクトリックシンバル)を1月のNAMMショーにて発表。

2012

A Custom20周年。アニバーサリーライドを発売。

2013

Zildjian社創業390周年を迎える。Re-designed New A Zildjian、サウンドレガシーをコンセプトにAジルジャンをマイナーチェンジ、クラシカルなサウンドを実現。

2014

1800年代に活躍し同社に多大な貢献をもたらしたKerope Zildjian(ケロップ・ジルジャン)氏へのリスペクトを込め、1950~60年代の楽器店に並んでいたシンバルを彷彿とさせるルックスとサウンドのKEROPEシリーズの発売を開始する。

2015

NAMMショーにて、KEROPE MEDIUM、オーガニックライド、エフェクトシンバルなど計9モデルが発表され大きな話題となる。

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